気まぐれ日記 2014年11月

2014年10月ここ

11月1日(土)「天候の変化が一番気になる・・・の風さん」
 明日が母の三回忌で、明後日は福島からやってくる兄夫婦をお伊勢参りに案内しようと思っているのに、天候が心配だ。
 ネットの天気予報で前線や雨雲の動きを見てみると、降雨になるかならないか、五分五分という感じである。
 今日は朝からずっと雨模様で、夕方には一瞬雨が止みそうだが、長続きしそうもない。
 そんな憂鬱な気分の中、久しぶりに気まぐれ日記の更新をまとめてやった。やや集中力を欠いた執筆で、内容はイマイチだった。
 そして夕方、雨が小止みになったころ、お墓の掃除と花の交換に行く約束をしていたが、私は書斎でダウンしていて、ワイフが一人で出かけた。
 ダウンしている間に、ワイフが墓地から帰宅し、福島から兄夫婦も到着した。
 夕食は鍋料理だった。気温が低く、鍋はナイスタイミングだった。
 明日と明後日の打ち合わせをした。明日は雨でも法事をおこなうが、明後日のお伊勢参りは、明日の昼頃の天候を見て決めることにした。
 夜遅く、長男も京都から帰宅した。
 名古屋の長女は今日も遅くまで仕事で、明日の朝、合流するという。
 ドイツの次女はもちろん来れない。
 手術をすることになった義父も参加できないので、いつもより顔ぶれは少なくなる。
 少しでも天候が良くなることを祈るしかなかった。

11月2日(日)「3年前から10年後・・・の風さん」
 うまい具合に朝から雨が上がっていた。
 ホテルから兄夫婦が、義妹夫婦と義母も遠路やってきた。最後に長女が電車でやってきて、今日の法事は総勢9名となった。
 心月斎に着くと、私たちの前の法事は既に終わっていて、境内に人気はなかった。
 いつものように住職と前の住職による読経で、荘厳な三回忌の法要となった。
 私達も般若心経などを一緒に唱えた。
 終了後に、いつものように歓談した。
 いちおう私が代表で挨拶をしたが、3年前の亡父の七回忌から、翌日の母の心筋梗塞、そして重い認知症発覚、東日本大震災を経て、年末の措置入院、大腿骨骨折から肺炎で亡くなるまでの怒涛の日々を語り、1日1日を大切にしなければならないことを感じると話した。前の住職から、お経の中では1日は何千年にもまさる重要さがあることを教えていることや、導師に対するお辞儀は、借香(しゃっこう)に対するお礼であり、今日の主役は亡き母なのだという説明があった。そして、伽羅や沈香、白檀などの香を回覧してくれた。
 近年、中国では伽羅を買い占める人がいて、日本のお寺が困っている話を私がした。また、似た話として、景徳鎮の重要な材料である花梨も掘り尽くしてしまい、今では本物の景徳鎮が作れなくなっていることも話した。それから、ここ数日の話題として、小笠原諸島沖に日本の赤サンゴの密漁をたくらむ中国船が200隻以上も集まっていることも付け加えた。
 最後に墓地へ行き、真新しい卒塔婆を立てて合掌してから帰宅した。
 食事会へは着替えてから行った。なにしろここ1年間でまた太ってしまい、ズボンは限界だった。ゆるいズボンに履き替えなければ食事ができない。
 食事会は兄の挨拶で始まり、私は大役を終えた気分で食事に集中した。しかし、朝食を抜いていても、とても食べきれない量だった。
 帰宅したが、もう食べ疲れといった感じだった。
 夕食前に、義母らが帰り、続いて兄夫婦もホテルへ戻り、やがて明朝の仕事が早い長女も電車で帰った。
 次の法事は、2年と3か月後で、父の十三回忌となる。それから母の七回忌、十三回忌と続くのだが、そのとき私は70歳を超えていることになる。
 家族の、特に子供たちの幸福のために、これから残りの人生を大切に過ごさねばならない。

11月3日(月)「お伊勢参り・・・の風さん」
 6時の目覚ましで起きようとしたが、めまいで起きられなかった。
 結局、起床は6時半になった。無理が疲労になって体に蓄積している気がした。
 すっかり雨が上がっていたので、予定通り、お伊勢参りに出かけた。
 今日はワイフのバースデーなので、良い記念になりそうだった。
 名駅で兄夫婦と合流し、近鉄特急で伊勢市駅へ向かったが、私は名鉄含めてずっと眠っていた。
 外宮へ向かう三重交通バスに乗って頭痛薬を飲んだ。
 鳥居をくぐるたびにお辞儀をしたが、以前にもしたことか記憶がない。
 何度か来ている伊勢神宮である。かつて来たときには母が一緒だった。父もいたかもしれない。人生とは次第にぼやけていくものか。
 パワースポットらしき場所に人が集まっていた。手をかざして熱さを感じているらしい。ためしにやってみた。確かに暖かい。不思議だ。
 千年杉のような古木、巨木の間を通っていくうちに、何となく体の奥がぞくぞくしてくる。俗人の私は、神霊ににらまれているのか。
 拝殿では無心で拝礼した。
 遷宮記念館を通り過ぎるように見学し、バスで内宮へ向かった。再びうつらうつらする。
 昨日までの天候が嘘のように晴れ渡っている。寒さ対策で少しよけいに着込んできたので、日に当たるところでは暑いくらいだ。
 五十鈴川のほとりで透明な水に触れてみた。冷たかった。
 既に1時近くなり、非常に空腹を感じていた。皆で手こね寿司を売りにした食堂に入ったが、誰も注文しなかった(笑)。私は少しぜいたくに中トロあぶり丼を注文した。名物に美味い物なしとはよく言われるが、ここのは非常に美味かった。
 おはらい町、おかげ横丁に初めて足を踏み入れた。参拝を終えた膨大な客を引き込む見事なビジネスモデルだった。そして、客が多い分、値段が手ごろに抑えられていて、成功のもう一つの要因を見た。珍しく私も小さな猫の置物を土産に購入した。
 少し早く現地を引き上げて伊勢市駅に戻ってきたが、本数の少ない近鉄特急は予定通りのダイヤになり、あいた時間でコーヒータイムにした。
 名古屋までLINEゲームをしていたが、実は疲労がたまっていたのに気が付かなかった。
 まっすぐホテルへ帰る兄夫婦を見送ってから、私たちは買い物をして帰った。
 帰宅してからも何となく元気が残っているような気がしていた。
 遅い夕食後、書斎でPCへ向かうと、一気に疲労感が襲ってきた。

11月4日(火)「角倉研究会向け原稿が決着・・・の風さん」
 昨日のお伊勢参りと夕方の買い物では、それほど歩いたわけではなかったが、今朝は足腰が痛い。疲労が抜けないまま出かけたので、いくらかダメージになったようだ。いつになったら筋トレを再開できるのだろう。
 またまたやることがたまってしまった。焦っているところへ、色々な飛び込み仕事がある。めげずに一つ一つこなしていくしかない。
 昨夜、角倉研究会へ提出した原稿に対して事務局から問い合わせがあった。参考文献と本文の関係についてである。
 何度も改稿を繰り返していたので、執筆者である私も、今となっては即答できない状態だった。ざっと調べて、昨夜とりあえずの回答をしていたが、その中に参考文献資料が見つからないものがあった。急きょ、国会図書館へネットを通じて複写依頼を出した。
 それが今日になって、他の文献の間にはさまっているのを発見したことで、一気に全体の解決へ向けて動き出した。
 結局、当初8つあった参考文献を、入れ替え含めて3つに絞り込み、原稿本文との関連を明確にして、回答することができた。原稿のバージョンは7となった。つまり第7稿ということになる。
 一橋大学からも確認メールがあって、少し古い資料をチェックする必要があった。
 今日はまた懸案のワイフのオリジナル作品の撮影に再挑戦して、何とか前よりマシな写真を撮ることができた。
 少し古いことだが、法事の前に先日のTOEICの結果通知が届いた。ずっと多忙でネットでの確認もしていなかった。結果に対する期待もそれほど大きくなかった。ところが、うれしいことに成績はまた上がっていた。ボケる年齢になっても成績が上がるという実績を残せそうな気がした。ドイツに行くまではドイツ語の勉強を続けるので、次のTOEICは半年後くらいに挑戦したい。
 
11月5日(水)「念校を終えて年金受給申請へ・・・の風さん」
 そろそろ新刊の情報を公開しよう。
 12月初旬に日本評論社から『星に惹かれた男たち −江戸の天文学者間重富、伊能忠敬−』が出版される。新潮選書『江戸の天才数学者』に続くノンフィクションである。岩波科学ライブラリー『和算小説のたのしみ』もノンフィクションなので、3冊著書があればノンフィクションも私のジャンルに加えていいだろう。
 その『星に惹かれた男たち』の念校に対する最終確認があった。何とか昼までに終えようと頑張った。微妙な問題も含まれていて、真剣に検討しなければならなかった。
 私の回答に対して、電話での打ち合わせもあって、昼過ぎに完了した。
 今回はメールでのやりとりがかなり多く、細心の注意を払わないと意思疎通がはかれないものだった。
 しかし、結果として出来上がる本は、かなり上質な作品になるという手応えがある。
 こうしている間に、1件、講演の打診の電話を受けたが、あいにく上京している日だったので、受けることができなかった。年内はこれ以上仕事を増やさない方がいいとは思っている。
 昼から猛烈な勢いで年金受給の申請書を書き上げた。必要な添付資料はほぼ揃っていると思うので、今日中に最寄りの年金事務所に申請に行くつもりだ。しかし、申請月日の欄だけは空白にしておいた。
 体調がイマイチなので、キャメロンの運転が楽しめない。
 初めて行く年金事務所は手狭で、駐車場も狭かった。一台分だけ空いているスペースに駐車した。
 30分以上待って、手続きが始まった。担当者は非常に丁寧に応対してくれた。残念ながら、添付資料の一つが古く、年度代わりになる6月以降のものを準備する必要があった。それ以外は全く問題なかった。
 帰宅して、来週の講義のテキスト作成に取り掛かった。だいぶ以前から少しずつ取り組んできたのだが、なぜかはかどらなかった。
 こういうときは、とにかく粘り強く、少しずつでもいいから作業し続けるしかない。
 さすがに疲れが出て、夕食後、書斎で少し横になったが、今夜中に完成させようという執念だけで起き上がった。
 体が冷えきっていたので、風呂で温めてから再び作業に取り掛かった。

11月6日(木)「年金受給申請を完了・・・の風さん」
 完成した講義のテキストをメール送信したのは、今朝の4時半だった。
 まだ夜明け前で、真っ暗な中、フラフラしながらベッドにたどり着いて横になった。
 午前11時に起床した。日が高く、天気は快晴のようだったが、体調はどんよりしていた。
 ここのところ薬を多種類服用している。その中でアレルギーを抑制する薬がヒット作品で、頭の痒みから鼻炎まで症状を抑えてくれる。
 今日は、朝から頭痛がしたが、これ以上薬を組み合わせるのはやめることにした。
 ブランチを摂ってから、キャメロンで出かけた。
 町役場へ行き、新しい証明書を1通入手し、再び年金事務所へ直行した。
 年金事務所は昨日より混んでいた。1時間近い待ち時間の後、私の手続きが始まった。担当者は昨日とは違う人だった。書類を置いてすぐ帰れるかと思ったが、手元のPCを使ってたくさんの作業を黙々と続けている。
 ようやく終わって、ねぎらいの言葉をかけながら、何をしていたのか尋ねた。私だけでなくワイフも含めて、年金受給データとの照合をしていたという。どうやら申請にやってきた機会をとらえて、消えた年金データとのマッチングチェックをしていたらしい。
 とにかく、これで大きな手続きを一つ終えることができた。
 私がまだ大学生だったころ、亡父は定年退職して仙台へやってきた。亡父も共済組合からの年金を受給するため、あの前後に色々な手続きで動き回っていたに違いない。それを亡父は私に語ったのかどうか、私にはまるで記憶がないが、たとえ語ってくれたとしても、あの当時の私にはそれを自分の将来のこととして受け止めるだけの度量は全くなかった。せめて私は子供たちに、多少なりとも、年金やその手続きに関する基本的な考え方を伝えておこうと思う。
 来週末の講演スライドの作成に取り掛かったが、頭がスッキリせず、まとめることができなかった。
 講義のテキストのように無理しても、とても良いスライドはできそうもなかったので、今夜は普通に就寝することにした。

11月7日(金)「旧職場で旧交を温めた・・・の風さん」
 普通に起床したが、昨日のダメージが残っている感覚がある。
 退社したら時間のコントロールがやりやすくなり、体調管理も当然うまくいくものと思っていたが、超多忙が続いていてそれができず、体調は着実に悪化している。
 そして、当初の予定では61歳の誕生日前後にがん専門の人間ドックを受診するつもりだったが、それも見通しが立たない。とりあえず普通の健診とかかりつけの病院での検査だけは受けている。
 そんな状態だが、スケジュールはこなさなければならない。
 今日は退社以来初めて、かつての旧職場(製作所)を訪問した。
 年齢が近く、昼食時に必ずプライベートの雑談をしていた同僚である。
 その同僚が事前に来客申請を出してくれていたので、正門ではスムーズに通してくれた。いや、スムーズ以上の待遇で、顔パスに近かった。約10年間ここで仕事をしていたわけだから、私はここのOBとして見られているのだろう。会社の風土に感謝である。
 今日は個人的な話をするために訪問したので、職場までは行かず、応接室で1時間半、しばらくできなかった雑談(主に家族の話題)をした。
 すっかり暗くなったころ、昔の気分で退社した。
 夜は、明日のマイスタディ講座の配布資料作成をした。
 こういう仕事は方針が決まると早い。それでも3時間半かかった。

11月8日(土)「マイスタディ講座に手応え・・・の風さん」
 昼前に昨夜作成した配布資料を図書館まで届けに行ったが、担当者がいなかった。
 担当者は実は文章サークルの仲間で、母の形見の三味線を譲る話をしていたのだが、それができないことが判明していた。
 なぜかというと、私は福島の実家から包まれた状態でそれを送ったので、今回ようやく中身を確かめたのだ。すると、残念なことに三味線の命である皮(恐らく猫の皮)が無残にも裂けていたのである。しっかり布で包まれていたので、経年劣化かもしれないが、それにしてはひどい裂け方だった。これではもらってもらうわけにはいかない。
 今夜担当者に会ったとき謝ることにした。
 昼食後も今夜の講座の準備をした。
 第3回目の講座は、明瞭に変化が見られた。書き直しを奨励したこともあり、持ち込まれた作品のレベルが上がったので、発言がやや難しくなったのである。
 他人の作品の朗読を聞き、それに対する他人の意見を聞くことで、大きな気付きと学びが得られる。小説といった個人的な作業の場合、特にそれが大きい。自分の作品に埋没して客観性を失っているからだ。
 いよいよ次回は、応募作品あるいは文集に残そうとしている作品を発表してもらうことになる。非常に楽しみだ。
 帰りに、文章サークルの別の仲間に自宅に寄ってもらい、これも母の形見といってもよい置台を譲った。
 三味線が乗っていた台だが、これは傷んではいなかった。
 夕食後、非常に疲労感をおぼえたので、早目に就寝した。

11月9日(日)「甘酒の誘惑・・・の風さん」
 朝から小雨が降っている。秋の天気は本当に変わりやすい。そのまま私の気分の変化になりがちである。やれやれ。
 ナビの修理を出して2週間が経過した。何の音沙汰もないので、代理店に電話してみた。
 メーカーでの修理はまだ終わっていないという。
 明日からまたキャメロンで上京するので、何とか間に合わないものかと期待していたが、だめだった。
 今回の上京では、東大和市(中小企業大学校)だけでなく、東京タワー近辺や浅草方面にあるセイコーミュージアムへもキャメロンで行くつもりだ。
 10年前に購入したナビでは不安だが、これもドイツでレンタカーで走る事前練習と考えれば、強行する価値はある。
 12日のセイコーミュージアム見学のお誘いメールを、今日も数名に出してみた。これまで超多忙でメールすら出す余裕がなかったのだ。
 しかし、直前ではやはり難があった。次々に既にスケジュールが入っていて行けないという返信が届いた。
 こうなると12月16日(火)のトークセッションも心配になってきた。急いで、ホームページのトップページに記入しておいた。
 金曜日の講演スライドを完成させることができたので、レジュメと配布資料を準備して、事務局へ送った。
 ギリギリ間に合った。
 明日のロングドライブを考えて、風呂からベッドへ直行しようとしていたら、ワイフから「甘酒飲まない?」と誘惑された。
 ほぼ4日間留守にするので、食べかけのものなど始末しておきたいのだ。
 甘酒のせいで、就寝が午前2時になってしまった(んな馬鹿な)。

11月10日(月)「古いナビの不安が的中・・・の風さん」
 昨日と打って変わって晴天である。絶好のドライブ日和になる。
 マイペースで出発の準備をし、自宅を出たのは10時10分ころだった。
 ガソリンスタンドで自動洗車をし、満タンに給油もして、気分も新たに有料道路にのった。
 東名の集中工事が終わったせいか、渋滞もなく、12時ころ新東名の浜松SAに着いた。まだランチには早かったので、トイレ休憩にし、ランチは新静岡SAにした。しかし、それほどの食欲があるわけでもなかったので、コンビニで菓子パンを2個買って、自宅から持って来た缶コーヒーで簡単に済ませた。菓子パンは2個でたった211円だったが、カロリーは900近かった。
 前回より2時間も早く東名から圏央道へ入ることができた。まだ日も高い。
 ここから先は古いナビには道がない。つまり地図が古くて役に立たない。
 圏央道をおりてから大学校までのルートと地図を昨夜印刷しておいたので、それを頼りに走ることにしていた。
 しかし、思惑は見事に外れた。
 圏央道の途中の分岐で間違え、あらぬ方角へかなり走って行ってようやく気付いたため、高速料金がビックリするくらい高額になってしまった。
 そこからは、昨夜印刷したルートと地図はまったく役に立たなかった。
 しかし、なんとか大学校に着いた。
 食堂で夕食を摂ったあと、明日の講義の準備をするだけですっかり疲れてしまった。
 午前零時前に長男から約束通り、修正を加えた挿絵が送られて来た。
 ワイフにも写真を送って感想を聞いてから、編集へ転送した。

11月11日(火)「受講生から多くのことを学んだ・・・の風さん」
 あまり熟睡できなかった。
 それでも早起きして、朝食も早めに摂って、講義の最後の準備も終えた。これは何かというと、講義の中で動画サイトにアクセスしてトヨタのかんばん方式をアニメーションで見せる準備だった。MacBookAirにiPhoneをつないで、テザリングでインターネットにつなげるようにしておいたのである。
 今日の講義は生産管理である。伝統的な生産管理だけでなく、グローバル時代にふさわしい生産マネジメントとして準備した。
 講義も5回目なので、慣れて来た。受講生が皆優秀なのでありがたい。
 今日は講義後事務局が用意してくれた懇親会がある。
 講義は遅れないようにテンポ良く進み、アニメも見せられたし、昼休みも30分短縮したので、予定通り午後5時から開始することができた。
 つまみにしようと私も地元のエビせんべいを持参したが、食べ物は十分多かった。
 今日は受講生から貴重な話をたくさん聞けて、私にはとても勉強になった。私の方が授業料を支払わなければならないほどだった。
 就寝前に、駐車場へ行き、明日の目的地2ヶ所をキャメロンのナビに登録しておいた。
 早朝に出発するので、今夜こそ熟睡しなければ。

11月12日(水)「都内をキャメロンで疾走・・・の風さん」
 夕べも熟睡できなかった。部屋が寒いせいかな。
 とにかく起床は午前6時。お菓子の朝食を部屋で摂り(笑)、てきぱきと準備して外へ出た。
 雨が降って濡れ、散った落ち葉に覆われたキャメロンが私を待ち構えていた。
 今日の最初の目的地は東京タワーの近くにある。中央道と首都高速を通って行くので、古いナビでも道案内は大丈夫だと思った。
 しかし、中央道の府中インターまでの直前の道はナビになく、道路標識にしたがって走った。ここまで50分もかかった。
 さらに、中央道にのってすぐ、渋滞。新宿まで70分などというとんでもない電光掲示が出ていた。
 事故かと思ったが違っていて、通勤渋滞だった。
 空いていたら1時間半で着くところまで、2時間半もかかった。
 最初の目的地は打ち合わせが目的だった。
 その打ち合わせは効率良く1時間ほどで完了した。大いに収穫があった。
 次の目的地はセイコーミュージアムである。
 首都高速は利用せずに走った。だんだん都内の道路の特徴がわかってきた。メインの道路の交差点では右折できないところが多いのである。
 キャメロンを駐車させてもらってから、待ち合わせ場所の東向島駅へ徒歩で向かった。
 駅の近所のドトールで昼食にしているときに南山誠林さんが現れた。
 最終的に3人をミュージアムまで案内した。
 今日は、たっぷり時間をかけて時計の歴史を説明してもらい、十分すぎるほど堪能した。
 近江神宮でもだいぶ勉強させてもらったが、だんだん時計にも詳しくなって来た。
 そのうち時計をテーマにしっかりした原稿を書きたい。
 夕方になり、たそがれていく都内の一般道を走って、三鷹駅近くのホテルに着いた。
 ずいぶん迷いながらキャメロンで走ったが、事故も起こさず、ドイツ旅行の良い練習になった。

11月13日(木)「840キロのドライブが終了・・・の風さん」
 早く就寝しなければいけないのに、GYAO!で『ランボー』を鑑賞してしまったため、今朝の7時半起床がつらかった。
 楽しみにしている朝食を摂りにレストランに行った。ここの明るく清潔な雰囲気が気に入っている。
 3体の猪の置物がある窓辺に席を占め、たっぷりのサラダからお代わりコーヒーまで、ひっきりなしに行き交う道路を眺めおろしながら、ゆっくりと過ごした。
 最後のメールチェックをしてホテルをキャメロンで出発したのは午前10時過ぎである。往路も復路も1日かけて走るつもりなので、気分はのびのびしている。ナビが古いので、昔からある目的地を設定し、ひたすら一般道を走った。
 来た時降りるはずだったインターにたどり着いて、最初のパーキングで休憩をとった。約2時間かかった。
 パーキングの外は田園風景が広がっていたが、ラジコンの飛行機が飛んでいるのを発見したので、着陸するまで10分近く夢中で眺めた。宙返りは平然とおこなっていて、背面飛行やキリモミ飛行まで見事なものだった。
 昨夜のロスを取り戻すため、屋外でドイツ語文法の本を読んだ。とんでもない休憩だ(^_^)。
 東名に入ってしばらく走ると雲一つない青空をバックに富士山が見えてきた。9月から始まった東京往復ドライブで初めて見る絶景である。
 iPhoneで撮影してドイツにいる次女に見せようと思ったが、新東名にあるサービスエリアでは正面から見ることができなかった。
 止むを得ず駿河湾沼津サービスエリアで駿河湾の写真を撮って送った。昼食時だったが、まだ空腹ではなかったので、キャメロン内で経営学の本を読んだ。とんでもない休憩だ(^_^)。
 次は、いつもの浜松サービスエリアに寄った。お土産にパンを買い、やはり昼食はやめ、コーヒーショップでレーズンサンドで済ませた。ここでは、坂田先生の本を読んだ。これで読書できなかった昨夜の穴埋めを終えた。とんでもない休憩だ(^_^)。
 すっかり外が寒くなり、開けていた窓をしめてキャメロンを走らせた。
 住居地に近付いて、薬局で薬を買ってから帰宅した。午後7時ころだった。
 火曜日は運転しなかったが、月曜からの4日間で840km走行した。ドイツでもこれくらい走ることになる。

11月14日(金)「ナビのおかしな修理内容・・・の風さん」
 昨夜、修理に出していたナビが届いたという電話があったので、帰りに取りに行こうと、朝からキャメロンで出かけた。
 ナイショのパーキングにキャメロンを置いて、名鉄電車で名古屋へ向かった。
 今日は10時からJMAの生産技術マネジメント研究会がある。午前中は私の特別講義で、マーケティングの話をすることにしていた。
 予定の1時間を30分もオーバーして話したが、退屈しない内容だったと思うので、まあ、許してちょうだい(笑)。
 昼食後、チームミーティングになった。これまでかなり議論を続けてきたので、かなり煮詰まってきている。名大の先生の適切なガイドに従って、だんだん骨子が見えてきた。
 午後5時半にチームミーティングを終え、家路についた。
 ナイショのパーキングからジョーシンに直行した。3週間近くかかったが、ナビの修理が完了したので、うれしかった。早く、正常な画面を見たかった。
 ところが、ナビを受け取るとき、修理内容を書いた文面を読んで驚くと同時に失望した。
 そこには直結コードが不良のため交換したと書かれていた。
 絶対に間違っていると思った。
 なぜなら、その直結コードはナビが不調になってから購入した新品だったからだ。店員にそのことを説明したが、よく分かっていないようだった。
 いちおうナビをつないでみて、正常動作しないことを確認したらすぐまた修理依頼しますと伝えて、駐車場のキャメロンに向かった。
 キャメロンには直結コードがつながっていて、端子が出ている。新たにもらった直結コードは不要だった。
 ところが、つないでみて、またまた驚くことになった。なんと、正常にナビが立ち上がったのである。
 納得できなかったが、事実は事実だ。しかし、どうせ不安定だろうから再発するに違いないと思い、別の店員を読んで詳しく説明し、近いうちにまた持ち込むことになるだろうと宣言してジョーシンを出発した。
 途中で満タン給油した。不思議なことに自宅までナビは正常だった。
 計算してみると今回の800キロを超えるドライブの燃費は13キロちょうどだった。エアコンを使用しなくても、町中の一般道をたくさん走ったので、燃費が悪かったようだ。面白くなかった。

11月15日(土)「きりたんぽからしりとりカラオケ合戦・・・の風さん」
 キャメロンでワイフと出かけた。ワイフのトールペインティングの生徒さんが働いているという海辺のレストランでランチにした。
 ワイフによるとこの店に、私は2回くらい来ているらしい。ところが、まるで記憶がない。店の外観も内装も料理もまるで思い出さない。
 その後、旅行代理店へ向かった。ドイツ旅行に関して、この代理店でお世話になることとしては、旅行保険だけが残っていた。
 説明をよく聞いて、内容を決めたが、長女が直筆で記入する必要があるため、書類作成は来週に持ち越された。
 今夜の食事はきりたんぽだった。
 いよいよきりたんぽの本格的なシーズンに突入して、きりたんぽが恋しくなっていたところへ、秋田の親友が送ってくれたのである。
 きりたんぽの料理に関しては秋田県人のようになっているワイフも狂喜して、いそいそと鍋を準備した。
 私は1年前に買っておいたいぶりがっこも冷蔵庫から取り出した。
 それを見てワイフは、地元の冷えた大吟醸を取り出した。どうも最近ワイフは日本酒党になっている。
 送ってくれたきりたんぽは必要な食材がすべてセットになっているので、完璧な秋田料理だった(当地ではこの時期セリなどがない)。
 セリと牛蒡は絶妙な組み合わせだわ、と毎回ワイフは感嘆するが、その手には盃が乗っている(笑)。
 やがて酔っぱらったワイフが、童謡の話題を始めた。歌詞を思い出すのにタイトルを思い出せない、というのである。
 私も同じなのでワイフの質問に回答できない。止むを得ず、iPadminiで検索をかけ、ついでにYouTubeで聞かせたことから、一種のしりとりカラオケ合戦みたいになった。交代で相手が知らないと思う歌詞を出してタイトルを当てさせるのである。
 これをいちいちYouTubeで再生しながらやったので、どんどん時間が経過していった。
 気が付いたら午前零時前。
 そこで、やめた。

11月16日(日)「3年ぶりの体力トレーニング・・・の風さん」
 名古屋へ電車で出かけるワイフを駅まで送ってからベッドに逆戻りした。
 再び目が覚めたのは午後2時半だった。これだけぐっすり眠れるのは、それだけ疲労しているのか、それとも体力が著しく落ちていて休養を必要としているのか。後者だと断定した。もう限界に来ていると直感した。
 急いで準備をして、町の体育館のジムへ直行した。
 トレーニングルーム内の景色が変わっていた。新しいマシンがでんと据えてあり、何かがなかった。レイアウトも変わっている。
 自分のトレーニング記録帳をキャビネットから取り出した。日付を見て驚いた。前回は2011年11月15日だった。まるまる3年間もトレーニングに来ていなかったのだ。
 その3年前とは、東日本大震災のあった年、翌月の暮れに認知症の母を騙して病院に措置入院させたのである。あれから私は精神的に変調を来した。母のためとはいえ、騙したのである。
 その状態のまま、母の具合は悪くなり、1年後に母は亡くなった。翌年、私は還暦をむかえ、会社を定年退職した。
 自分の人生を振り返ることの多い3年間だった。かつて想像していた還暦の自分はそこにはいなかった。
 同級生を中心として、自分と同世代の仲間との交流が唯一の救いを求める場だった。
 そうしている間も着々と体力は低下していた。
 3年ぶりにマシンに向かって、激しく落ちた体力を実感した。
 そして、これからの人生に必要なものをもう一つ思い知った。体力である。
 夜、ドイツから帰国するまでLINEゲームをやらないことを決めた。体力のない中、ゲームは単なる時間と体力の消耗になりかかっていた。

11月17日(月)「総合病院を受診・・・の風さん」
 昨日の筋トレの効果が早くも出た。と言っても、ダンベルで無理して腕の上げ下ろしをしたことによる上腕二頭筋の痛みだけ。
 そろそろ3ヶ月の期限が来る(また初診料を支払うことになる)総合病院へ行った。
 月曜日ということで非常に混雑していた。
 診察まではスムーズに終えたが、会計と薬の受け取りにべらぼうに時間がかかった。
 結局、終わったのが午後1時過ぎ。次回(3ヶ月後)までに病状に何らかの進展があるだろうか。
 新しい人間ドックのパンフをもらって病院の建物を出た。
 ボケのせいで、自分が駐車したキャメロンを一時的に見失った。
 ハンドルをカリチューへ切って、ナビ修理の不思議を語り、ついでにオイル交換してもらった。
 帰宅するまで、ナビの異常は起きない。不思議だ。
 夕食は、残ったきりたんぽの出汁を利用した雑煮だった。雑煮なので餅である。まだ出汁が残った。
 今日も仕事のペースが上がらなかったので、就寝前に突然名刺の追加印刷をしたり、自著にサインを書き込んだりした。結局、付加価値のあまりない機械作業みたいなことはストレスなくできるということだ。しかし、ボケの進行と区別がつかない。

11月18日(火)「久々に読了・・・の風さん」
 今日は地元の町医者つまり掛かり付けの病院に行った。高血圧の薬を処方されて1ヶ月後の診察である。
 事前の測定では変化がほとんどなかった(やや高めの130台ー80台)ため、処方がグレードアップした(それだけ薬代も高額になる)。
 待ち時間ではずっと読書をしていた。
 帰りにJP(郵便局のこと)とJA(農協のこと)に寄って用事を済ませた。
 電車で名古屋へ出かけた。ワイフと落ち合って買い物をする予定だ。
 車中では読書をした。LINEゲームをやめているので、その時間を有効に使わなければならない。
 予定通り旅行用のスーツケースを購入した。ある程度下見していたので、すんなり決まった。
 かつて使ったスーツケースは、学生時代に購入したもので(それらは既に劣化して崩壊していた)、5年前は次女の巨大なスーツケースを借りていた。人生の長さを実感する。
 ついでに変わったレストランで夕食を摂ってから帰宅した。
 帰りの車中でも読書した。
 今日は、何ヶ月もかけていた2冊の本を読了することができた。

11月19日(水)「長女とドイツ旅行作戦会議・・・の風さん」
 再び電車で名古屋へ出かけた。多忙な長女と会って、ドイツ行きの気分と準備を促進させなければならない。
 車中では来週から始まる非常勤講義の事前勉強をした。
 長女とランチをしながらドイツ旅行の話をした。既にガイドブックを購入していて、中もかなり熟読しているようだった。私も見せてもらったが、知りたい情報が豊富に盛り込まれた本だった。食事後は書店かなと思っていたが、全く不要になった。
 ドイツの最初の2日間は次女がすべてプランを作ってくれるので、3日目以降は、ルートを長女に正確に伝えておけば、行きたいスポット(観光地というよりレストランやショップ)をしっかり列挙してくれるだろう。
 書店をパスして、昨日ワイフと行った店に行き、スーツケースを長女に選ばせた。私が期待した通りのサイズを選んでくれたので、安心した。
 他にもトラベルグッズがたくさん気になるようだったが、ワイフと相談して決めるように言った。
 喫茶室へ行き、長女に旅行保険の申込書を記入させた。ファミリータイプの保険で(先の長い)長女の補償内容を最高額にするため、長女を申込人し、私とワイフは同伴者としたのだ。
 夕方から仕事が入っている長女と別れ、電車で帰宅した。帰りも講義の勉強をした。
 帰宅してから、来週の中小企業大学校の準備のペースが上がってきた。
 夕食はまだ残っているきりたんぽの出汁を使った雑炊だった。2度どころか3度も楽しめたわけで、十分堪能した。親友に感謝。

11月20日(木)「とこなめ会に初参加・・・の風さん」
 今年は例年になく喪中葉書がたくさん届いている。高齢の親を見送った内容がほとんどなので、そういう年代の真っただ中に自分がいることをあらためて感じるが、頭の中は俗念てんこもりの風さんなので、すぐ自分の人生について考え込んでしまう。ここまで全力で突っ走ってきたので、その人生がいとおしい。もちろん過去には満足している。しかし、これからという話になったときが心配だ。満足できる人生の幕引きができるかどうかだ。長く続くのなら何が起きようと挽回できる気がするが、突然幕が降りるとしたら、どうか。立つ鳥跡を濁さず、というくらい身辺整理ができていればいいのだが……。何度も手をつけては超多忙に流されてそのままになっている身辺整理。そして、子供の将来。それが気にかかる。
 高倉健が10日に亡くなっていたという。83歳は少し早すぎる。こういった多くの人の目標のようになっている人が亡くなるのは悲しい。同世代であればなおさらだろう。とりあえず同時代に生きたということを喜びとして見送るしかない。自分は高倉健ではないのだ。
 今日は来週の講義のテキスト作成のラストスパートで頑張った。夕方までに完成させることができた。いちおう自主目標は達成。
 日が落ちてからワイフに送ってもらって「とこなめ会」に出席した。地方活性化の一つの試みで、私も共感しており、何かお役に立てればと思っているので、(隣の町の住人ながら)厚かましく出席してきた。自己紹介では秋田との縁が深いことを宣伝した。米の秋田は酒の国、ということで、常滑の酒蔵の社長さんと妙に話が弾んだ。2年先輩のこの社長さんは腰が低く、話にも味わいがある。私よりずっと人間ができているに違いない。
 他にも多彩なメンバーが集まっており、これから長く続けばきっと良い連帯関係が生まれるだろう。そして、その中で、私は私のできることで貢献したい。

11月21日(金)「やはり体力不足・・・の風さん」
 ワイフが朝から退院したばかりのお義父さんを見舞うため実家へ出かけるので、私も慌てて起きた。
 急いでキャメロンで家を出、JAとUFJに行き、お金をおろした。
 帰宅してすぐ宅配が来た。
 今日から4日間で、ドイツへ出発する前に起きるイベントの準備をほぼ終えてしまうつもりだ。そのためには、毎日すべての課題に少しずつでも取り組まねばならない。
 先ず、最後の中小企業大学校の講義のテキスト作成。次に、来週のマイスタディ講座。続けて、来週の非常勤講義の準備を始めたところで、猛烈に眠くなってきた。
 ここ1週間、1日2食にしている。明らかにウェイトオーバーなので、筋トレをしながらウェイトを落とすつもりだが、手っ取り早いのは絶食である。しかし、急激な絶食はできないので、とりあえず1日1食を抜くことにした。どうせ軽くしか食べていない朝食か昼食を抜くだけなので、それほどの無理はないと思っている。
 ウトウトしているうちに書斎の椅子にもたれて眠ってしまった。
 目覚めたら外がすっかり暗くなっている。
 昼寝してしまったのは、睡眠不足だからではない。疲労でもない。まして満腹になったからでもない(今日は昼食を抜いている)。
 体力不足が原因と断定した私は、急いで準備して、体育館へ直行した。16日より少しマシな成績だった。
 就寝前にドイツ語のCDを勉強した。出発まであと2週間。とても全部を暗記できるものではない。焦ってきた。

11月22日(土)「講義の資料もドイツ語の勉強も・・・の風さん」
 ここのところ就寝が遅く、したがって起床も遅い。が、今朝は、それほど遅くなかったにもかかわらず、起きたときにはもう宅配がキャリーケースを届けていた。出発まで着々ではあるが、まだまだやることが多い。
 今日は先ず散髪に行った。亡くなった高倉健さんを追悼する意味も込めて「健さんみたいに短く」とリクエストしたら、「もっと若い渡辺謙さんで行きましょう」ということになった。確かに、健さんより謙さんの方が似合いそうだ。しかし、そのためにはもっと引き締まった顔にする必要があるな(笑)。
 帰りに電気屋にも寄ってきた。
 講義の資料作りがけっこう重荷で、なかなかできない。少しずつやるしかない。
 今夜は録画してあるテレビドイツ語講座を視聴し、就寝前にもドイツ語会話を勉強したが、なかなか大変だ。

11月23日(日)「旅行代理店関係が終了・・・の風さん」
 朝からキャメロンで外出。
 昨日も行った電気屋へ行き、買い物のミスを挽回(焦っていると、違う物を買ってしまうんだよね)。続けて、旅行用の衣類を購入するためにスーパーへ行った。ユニクロは非常に混雑していると聞いたので、ここへ来たのだが、狙い通り空いているだけでなく、ここでも安価に購入できた。
 最後に旅行代理店に寄った。旅行保険に加入してすべての手続きを終えた。バウチャーをまとめて受け取ったが、すべてA4用紙のプリントで、送られてきたPDFを印刷しただけだという。紙の書類よりもデータの方が大事で、あとは本人確認ができればOKということなのだろう。実際に行動していないと分からないことだ。ITによって急進展したグローバル時代の特徴である。
 来週の非常勤講義の準備や最終回のマイスタディ講座の準備、再来週の中小企業大学校の講義テキスト作成など、少しずつ小石を積み上げるようにやっている。超多忙なときは、このやり方が最後に勝利することは、経験的に知っている。

11月24日(月)「宛名シール印刷・・・の風さん」
 新刊『星に惹かれた男たち』の出版が迫ってきたので、献本先の提案をメールで出版社にする一方、贈呈先の宛名シール作成に取り掛かった。
 2年前にもしたことなので、要領良くやれるかな、と思ったが甘かった。
 一番大変だったのは、贈呈先の選定である。住所録ソフトで、用意した用紙に適合する書式をカスタマイズした後、住所録一覧にチェックマークを入れていった。この2年間でも知人や友人は増えている。厳選するのがひと苦労なのである。
 とりあえず第一次選抜を終えて印刷した。しかし、膨大な人数である。再度厳選作業を繰り返し、止む無く除外した人については、せっかく印刷した宛名シールの上からマジックで黒く塗りつぶした。この時点で印税の15%で、現物を直接手渡しで贈呈する分まで含めると、印税の約20%が使用されることになる。これではプロとは言えない気もするが、そもそも小説家としてスタートしたときから多くの人たちに支えらてきたわけで、こういった状況はこれからも続きそうである。
 夕方から筋トレに出かけた。ドイツへ行くまでにどれだけ体力を戻すことができるか、それが課題だ。
 作成したばかりの宛名シールを入れた封筒も投函した。
 帰宅してすぐあることを試した。カラーリングである。数年前から頭皮に問題があり、亡き母の体質を受け継いだなと自覚していたが、医師から染毛剤の変更を勧められていた。その推奨商品が届いていたので、やっとトライしたわけだ。試した結果はすぐ出るわけではないが、満足できそうだ。

11月25日(火)「15年ぶりに知人と再会・・・の風さん」
 久しぶりの東京雨男になった。
 最寄りの駅までワイフに送ってもらって、東京へ向けて出発。
 昨夜の睡眠は十分だったので、名鉄車中も新幹線車中も居眠りすることなく、仕事や読書に費やした。
 日が落ちたころ、都内で途中下車した(つまり駅から外へ出た)。
 都内には、暮らしたことはないが、頻繁に出没したロケーションがある(笑)。たとえば、代々木八幡とか銀座とか(ホントだよ)。下車した駅の周辺もそれらの一つだった。だから土地勘がある。
 小降りだったが今日初めて傘をさして、表通りから裏町へ入った。そこへ目的の喫茶店があった。
 15年前に会ったことのある知人が個展を開催していることを、友人のフェースブックで知ったので、連絡して行くことになった。
 そこはジャズ喫茶で、さまざまなイベント会場を提供しているようだった。
 15年ぶりに会った知人も当時のことは強い印象を残していたようで、あの日の続きのようになった。つまりお互いのことをよく知るための時間となった。話をしているうちに、今ドイツにいる次女と似た才能を持っていることが分かってきた。
 知人の作品は本や楽譜のページを蝋燭の火で焦がしたものを、小さなガラス瓶に入れたもので、一種のタイムカプセルなのだという。時間と空間のイメージの封入だから確かにそうだろう。今夜は知人と私の15年前のタイムカプセルを開いた日だ。
 ガラス瓶の内部に添えた小さなマスコット類も可愛らしかった。知人の作品の背景には文学と本に対する美意識があって、それも好感がもてた。もっといたかったが、シンデレラボーイの私にはもう時間がなかった。
 東大和寮に着いたのは午後8時ころで、まだ雨はしっかり降っていた。それから晩御飯を食べに外出した。明日は中小企業大学校で講義である。

11月26日(水)「通算10冊目の著書・・・の風さん」
 講義が始まる前に、部屋でドイツ語の勉強をした。
 通算6回目で、受講生が優秀なこともあり、講義はかなりスムーズに進行するようになった。
 ディスカッションによる相互研修を中心に置いているが、そこに横から口をはさむ私も、最初は講師としての経験談を語っていたが、そうではなく、自分も同じ研修生として意見を述べるという姿勢が大事なのだと思うようになってきた。なぜなら、私にとっても気付きや学びが多いからだ。
 前回の経験でできそうだったので、今日は最短で帰宅するスケジュールに挑戦してみた。夕食は乗った新幹線車中ということになるが、十分可能なことが分かった。最終講義となる来週もこのスケジュールで行こう。
 それでも帰宅は午後10時過ぎとなった。東京で残っていた雨は、当地では上がっていた。
 メールで連絡があった通り、新刊『星に惹かれた男たち』の見本が届いていた。自分として通算10冊目の単著である。処女出版から18年かかっている。これからはペースが上がるだろうし、上げねばならない。
 急に日本酒党になったワイフの提案で祝杯となった……が、そこそこで切り上げた。
 明日の講義の準備のために、就寝は午前3時になってしまった。

11月27日(木)「筋トレ⇒非常勤講義・・・の風さん」
 午前9時に起床し、筋トレに行った。外では顔に当たる微風が暖かく感じられるほどだった。
 ドイツ出発までの多忙な日々をチェックすると、筋トレができるのは、今日を入れて3日しかなかった。
 以前の感覚を取り戻し、スムーズにトレーニングメニューをこなしていった。
 夕方から愛工大での非常勤講義があるので、またキャメロンで家を出たが、途中で、お世話になっている会社に立ち寄った。会長に新刊を贈呈するためだった。あいにく会長は不在だったが、秘書役の方へ渡すことができた。
 本山キャンパスも夏以来である。ついでに銀行と郵便局に寄って用事を済ませた。
 後期の科目は「OR(オペレーションズ・リサーチ)」で、受講生は全員出席してくれた。マンツーマンではないので、少々手厳しい講義をすることにし(つまり自分で学ぶことの重要性を教える)、自分が作家であることや名商大でMBAを取得したことを明らかにした。
 これから、中小企業大学校での経験も反映した講義にしていくつもりだ。
 明朝までに来週の中小企業大学校の講義テキストのデータを送らなければならないので、夕食後、臨戦態勢となった。

11月28日(金)「祝ワールドテック創業10周年・・・の風さん」
 中小企業大学校へ来週の講義テキストのデータを送ることができたが、就寝は今朝の4時半だった。ドイツ旅行出発の1週間前にこんなことをしていていいのか(でも、仕方ない)。
 午前10時ころ起床したが、疲労はまったく取れていなかった。
 今日は私と同じ勤務先をスピンアウトした知人が会社を立ち上げてから10周年を祝うイベントが名古屋である。
 出発前に、JAへ行ってお金をおろし、近くの酒蔵でお祝いのお酒を用意した。
 行きの電車ではうつらうつらしているしかなかった。
 会場は名古屋商工会議所だった。
 ここは2年前の11月18日に簿記試験を受けるために来たところだ。
 その日は、未明に母が亡くなり、兄からその電話連絡を受けた日だった。すぐに何かすべき状況ではなかったので(覚悟も決めていたし)、とりあえず受験に来たのだが、結果は惨憺たるもので、合否の確認すらする気はなくなった。
 あれから丸2年だった。
 会場に到着して招待客の多さに驚いた。そして、その中に、勤務先だったデンソーのOBや現役がたくさんいたからだ。
 まるで同窓会のような雰囲気で、私は一人ひとり知った顔を探しては挨拶して回った。
 10周年という記念すべき節目はまさに称賛に値する。そして、そのイベントにこれだけ多くの先輩や同僚が集まっていることに、私までが幸福感をおぼえた。
 今日はワイフも別件で名古屋へ来ていたが、帰りに合流する余裕もなくなった。

11月29日(土)「マイスタディ講座で手応え・・・の風さん」
 昨夜書斎に入ったら、猫の仕業だろう、窓際の時計展示コーナーが荒らされて、自作の和時計がひっくり返っていた。
 不思議なことに、それを元に戻したら、ここ1年以上止まっていた和時計の二梃棒天府が動き出した。カチカチと心地良い音を奏でてくれた。
 それが、今朝見ると、ちゃんと天府が自動でチェンジされていて(不定時法のために棒天府は2個あるのだ)、まだ動いていた。
 今日は朝から雨が降っていた。週間天気予報通りだったので、いつもながら、その正確さに驚く。
 小降りになったタイミングを狙って、昨夜完成させたマイスタディ講座のテキストを図書館へ持って行った。
 少し元気が戻ったので、ドイツ語文法の本を読み始めたが、関係代名詞のパートになっていて難しく、すんなり読み通せなかった。
 雨が上がった夕方、名古屋で長女と会うワイフを最寄りの駅まで送ってから、マイスタディ講座の4回目(最終回)に出かけた。
 欠席や遅刻や早退が多かったが、わずか4回で文章力を上げた人が多く、驚いた。
 2年ぶりに文章サークルを再開することにしたので、先ず新年会を立案した。今回の講座受講者にも(懇親会のつもりでよいからと)参加を促した。そして、その日までに、講座の成果である文集を完成させて配りたいと思う。

11月30日(日)「販促用のポップを制作・・・の風さん」
 出版社から販促用のポップ(書店で平積みのときに立てる宣伝用のビラ)を作ってほしいと言われ、少しとまどった。
 販促に協力するのはやぶさかでないが、手書きのポップを求めているらしく、利き手が不自由な私には重荷だった。
 昨夜は午前2時半ころ就寝したのだが、このポップがずっと気になったままだった。
 結局、浅い眠りの中で考え続け、パソコンで制作することにした。
 7時に飛び起きて、すぐに着手した。構想はベッドの中で考えていたので、作業は着々と進んだ。10時までに完了させるのが目標だった。なにしろ出版社は急いでいるから。
 午前10時前に3種類のポップを制作することができた。
 朝食後すぐ、郵便局のポストへ投函に行った。日曜日は1日1回した回収してくれないが、その時刻に間に合った。
 昼からワイフと買い物に出かけた。ドイツ旅行の準備である。
 私は衣類を中心にまとめ買いした。これで、キャリーケースに詰め込みができる。詰め込みを始めれば、忘れている物にも気付くはずだ。
 夕方から空模様が怪しくなってきた。
 それでも、予定通り筋トレに行った。
 昨夜の睡眠が十分でなかったせいか、心肺機能の低下が著しい。体重も増えていて、あ〜あ、といった感じ。
 帰宅するころ雨が降り出した。
 夕食前にテレビドイツ語講座を聴講した。Das ist meine Frau. は使えそうだ。

2014年12月はここ

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